XPはコンスタンティヌス帝の旗印

だったんだそうだ。


Xは現代ギリシャ文字ではカイと読むが、古代ではキー。
Pは現代でも古代でもロー。


このキーローの組み合わせをローマ帝国正規軍の紋章として、ラバルムと呼んでいたそうだ。


ラバルムがローマ軍の正式な旗印になったのは、コンスタンティヌスが当時ローマ地域を支配して皇帝を名乗っていたマクセンティウスと戦った時に、XPの紋章が夢の中に現れて啓示をもたらし、それによってマクセンティウスを破ったからだそうだ。


当時のローマでは、XPはイエス・キリストを表す意味を持っている。
コンスタンティヌスは、ローマの国教としてキリスト教を定めた最初の皇帝。


おそらくコンスタンティヌスは、キリスト教徒の協力を得てマクセンティウスを破ったので、キリスト教を国教にしたのだろう。




当時のローマ帝国はテトラルキアと呼ばれていた時代で、領土を四分割して、西の正帝、副帝。東の正帝、副帝の四人の皇帝がいた。


首都も四つあり、四つに分かれていた首都をテトラルキックと呼んでいる。


帝国を四分割して、皇帝を四人にしたのは、外敵の侵入に対して即応するために、指揮系統を前線に近い地域に分割したためであるそうだ。


そのため、前線から遠いローマ市は首都機能をなくし、テトラルキア時代のローマは帝国の首都ではなかったと。




帝国が生き延びるためには、四人の皇帝を作るしかなかったのだろうけど、最高司令官が四人になると、後継者指名はプライベートジム 東京でも色々揉めることはあったようだ。


ローマの皇帝は、実は血統は重視されない。
血統よりも実力重視なので、先帝の子が必ず次代の皇帝候補になるわけではなく、むしろ功績抜群の将軍が皇帝になったりする。


ローマが血統ではなく実力主義だったのは、ローマがまさしく帝国で、多民族、多宗教、多言語、多文化のグローバル国家だったからだろう。


そういうグローバルな帝国で、ある民族出身の皇帝が、血統を理由にして大して優秀でもない自分の子を後継の皇帝にしてしまうと、違う民族が不満を持って反乱を起してしまうので、実力第一主義になったのではないかと思える。




コンスタンティヌスと覇権を争ったマクセンティウスは、父がマクシミアヌス皇帝で、自分も当然後継の皇帝になれると思っていたようだがそうはならず、色々と揉めたらしい。


ローマの皇帝は実力主義で、かつ当時は外敵の侵入が頻繁に起こっていたテトラルキア時代だから、皇帝は血統でなるのではなく、実力と功績を兼ね備えた者がなる時代で、皇位継承というよりは、大統領選挙に近い様相だったと思われる。




当時、ローマに最も近いミラノのテトラルキックを統治する皇帝だったセウェルス帝は、ローマ市の市民権について制限を加えたり、親衛隊を解散するといった政策を取っていたらしい。


ローマが首都ではなくなっていたテトラルキア時代だから、ローマだけ特別扱いというのは非合理的な特権主義になってしまうので、セウェルス帝の政策は利にかなっているわけだが、当然ローマで既得権を持っている者は不満を持つ。


となると、皇帝の子なのに正式な皇帝になれなかったマクセンティウスと、ローマの有力者が結びつくのは自然な流れで、マクセンティウスは東西正副の4人の皇帝とは別に、5番目の皇帝を勝手に名乗るようになる。


で、まぁすったもんだして、西の副帝でガリア(現在のフランス)を支配していたコンスタンティヌス帝との間で決戦になり、コンスタンティヌスがマクセンティウスを破ってローマに入る。




その際、コンスタンティヌスがマクセンティウスを破った戦いが、コンスタンティヌスが夢の啓示を受けて「XP」を旗頭にして戦ったミルヴィオ橋の戦いになる。


当初マクセンティウスは、防御が堅固なローマに篭って篭城戦をするかと思われたが、なぜか出戦になり、しかも背水の陣だったそうだ。


背水の陣は、兵力が少ない側が、多勢の敵に翼を回りこんで包囲されないために取る陣形なので、マクセンティウスの軍は、コンスタンティヌスよりも数で劣っていたと考えられる。


篭城するはずだったのが、突然出戦になったり、背水の陣だったり、コンスタンティヌスが急にキリスト教勢力の支持を得た雰囲気があるあたり、マクセンティウスは多数派工作に失敗して、基盤を失ってしまったのだろう。


リソース的な基盤がないと戦争には勝てないというのは、古今東西どこでも同じこと。
夏は民主党大勝だったのは、アメリカががっつり中韓を向いていて、そこから来る支援で大勝。


しかしあまりに韓国贔屓が明白な政権なので日本の大手企業がみんな海外に逃げてしまって、日本のリソースが使い物にならなくなりそうな気配になり、アメリカ本土での風向きの変化もあって、民主の旗色は悪くなっていると。




ミルヴィオ橋の戦いでコンスタンティヌスが勝った時から、ローマ帝国ではキリスト教が特権的な地位を得るわけだが、多民族、多宗教をもってするコスモポリタンのローマ帝国が、キリスト教という一神教に収斂するというのはなかなか難しかったはず。


コンスタンティヌス帝は、ローマを再統一した功績で「大帝」と呼ばれていて、キリスト教では聖人扱いだが、再統一の過程はそうとう揉めたんじゃないだろうか。


コンスタンティヌスは、帝国の中心を東に移し、ローマからコンスタンティノープルに遷都している。
コンスタンティヌス自身、これをもってノウァ・ローマ(新ローマ)としているので、実質上これはローマの再統一というよりは、ローマではない別の帝国が始まったと言うべきなのかも知れない。




色々調べてみると、西洋の歴史はローマとキリスト教を知らないと、何も知らないのと同じだと分る。


しかもローマはずっと同じ体制だったわけではなく、共和制時代と帝政時代は違うし、テトラルキア時代も違うし、コンスタンティノープル時代も違うし、東西分裂後も違う。


キリスト教も全然ひとつじゃなく、大きく分けただけでもローマ・カトリックと東方正教会とプロテスタントがあり、その内部はまた色々な派閥がある。


西洋人の名前は、ローマやキリスト教から取った名前が多いが、ヨハンなのかマルコなのかによって、宗教的立場は全然違うかも知れないから、名前によってはこの人にはこういうことを言っては宗教的タブーに触れてしまうかも知れないってことを、本当はよく勉強しておかないといけないのだろう。